昭和52年08月13日 13日会



 あの今度のお月次祭にあそこ、ちょうど真ん中に御神酒が三本包装紙につつんだ三本お供えになっております。あれは亀の井という珍しい銘柄のお酒ですけれども、あれを頂きました。亀の井ということは合楽と言う事に通じるでしょうね。それこそ今の合楽ではおかげを受けられない事はない。もう汲めどもくめども尽きぬおかげがね。言うならば自分があの、汲もうと思えばなんぼでも尽きる事ないお恵みの水に触れる事が出来るという意味だと思うのです。
 あの亀の井というお酒を頂き、改めて私はなんという知らなかったけれども、頂いてからみたらやっぱり亀の井というお酒です。真ん中の三本お供えになっておるのが、あの銘柄のお酒です。と言う事はそのまま合楽と言う事だと。亀というのは私の事だと言うふうに表現して下さるのですから、だから問題は汲もうという気にならなければその気にならなければダメだと言う事で御座います。昨日今日から頂いております。
 昨日もそうです。どんなに教祖の御教えをこんな風な頂き方をすればおかげが頂けれる、お徳が受けられるともう、ギリギリの最高の味を付けて皆さんの前に出してあるのがここでの御教えです。「おかげの泉」はもう読んで必ず助かるのだと。けれども少なくとも十回は読んで下さいよと扉に書いておりますように、それを実行して始めておかげを受けるのです。頂かずしては味わう事も出来ません。ただお参りをしております、お話しを聞きよります、というだけでは頂いた事にはならないのです。
 本気で頂こうという気にならなければならん。今ここに座らせて頂いたら南米から、手紙ちょっと違ったいっちょん日本語の書いていない手紙が二通来ておるのです。1通はサンパウロの教会から、まだ私はあの大変ほそぼそと書いておりますけれども恐らく、サンパウロの総代か、熱心な信心をしておられる方が、末永先生に色々聞かれておかげを受けられた方、まあいろいろ来ておるからまあ読んでおりませんけれども、墨書きであのお願いがして御座います。
 南米ブラジルの難儀な氏子をお徳、親先生のお取次ぎを頂きまして、お徳と書いてあります、お徳親先生のお取次ぎを頂いてどうぞ助かりますよう。八月二十一日のご大祭盛大に仕えられますように、心を込めてお祈り申し上げます。八月二十一日があちらのご大祭で末永先生が仕えられる事になるでしょう。それをこれはサンパウロの。それから末永先生からもこれには、日本語が全然日本語というかそのローマ字ばかりで、手紙が今高橋さんに読んでもらったのですけれども。
 あちらの青年層の方達があの合楽理念のブラジル語に翻訳する事が始まったと書いております。素晴らしいでしょうが。それは先生自身が海外布教は、合楽理念を持ってする以外に無いと思い込んで、自分がその気で頂いて合楽理念を持って、布教をさせて頂いておる所に現在度々頂きますように、本当に輝かしいまでのおかげを頂いておるのです。ここで私が、どんなに口を酸いして、合楽理念合楽理念を説きました所で、どんなにみやすく美味しく頂けれるようにいうならば味付けがしておりましても。
 その気になって頂かなければならないのです。今朝からのご理解に昨日、ここから言うならば、十年と言う記念の年から節からこう枝が出ると言われておりますが、確かにそうです。一の枝が南米です。今度二の枝が熊本の植木に出たようなものです。昨日あちらの夏の祈願祭、それに合わせて、あちらの教会長の任命を受けた、山田先生の所での御大祭が御座いましたから、こちらから信徒会長、それから総代、それに高橋さん、それに若先生4名で参りました。
 そして帰って来られる時に、あちらの教務所長を豊後森のお方ですから乗せて帰って来て、丁度応接間でお茶でも差し上げながら、頂いた話ですけれども。夏目というあちらで、熊本ではもうそれこそ、かみそりの様に切れ手で教学者でもあります、夏目という先生。今日私その方のお話しをしておりましたら、その方の従弟さんと言う方が参って来ておりました。先生あの夏目というのは、私の従弟にあたりますというておられるのですよね。改めて又夏目先生の事を話した事で御座いましたけれども。
 色々お話の中に最後にこう言う事を先生が言っておられるのです。是は椛目時代で御座いました。三、四回くらい参って来られた先生なのです。それが始めは矢張り塩梅味みだったと思うのです。けれども一遍二遍とお参りしておるうちにここには何か頂くものがあるな。折角来るならば頂いて帰らなければと、その気でお参りをして来た時のお参りだったろうと思います。控えでお茶をあげてタバコを差し上げ、タバコを吸いなさるので、私が勝手のほうへマッチを持って来いと言うた。
 所が修行生の方が、マッチを持って来たけれどもそのマッチが空であった。そしたら私が、是はマッチが空じゃったらタバコもすえんのと言うたというのです。それを夏目先生は自分の信心にピシャッと受け留めたのです。もうそれ以来10数年間タバコを辞めておるというて、是は夏目先生から聞いた話ですというて、その教務所長がしておりました。何かを頂かなければと言う所に、例えば教えではないただ私がただ、タバコもマッチが無からなければ吸えんなと言うたその一言がなら。
 夏目先生が今日までタバコを辞めておる事になるのです。信心は日々の改まりが第一じゃと仰います。それをどんなに合楽理念、合楽理念というてもです、その気になって頂こうという気になり、その日その日の改まりと言う事に本気で取り組まなければ、何時までたっても私同じ事だと。私はその夏目先生のお話しを聞かせて頂いて、心嬉しかった。有難いと思うた。十何年前に自分が只。
 唯なんでもない言葉で発した言葉が、その夏目先生にそんなおかげに繋がる様な事になっておるということが有難かった。そしたら神様から直ぐ頂いた事があの大石良雄が、山鹿流の陣太鼓を叩いておる所を頂いた。その勿論絵ですよね。大石良雄どういう人か知りませんから。あれはあの山鹿流の陣と言う事だそうです。山鹿流の陣太鼓というのは、遠くにおって近くに聞こえ、近くにおって遠くに聞こえる、と言う様な太鼓の打ち方だそうです。私は今このビリグイのサンパウロ教会。
 ビリグイ教会の青年の方達が、いわゆる合楽理念を本気でものにしようとしておる、言わば姿勢がです。所謂ブラジル語に翻訳されよう、と言う事を聞いて本当に有り難い。それこそ遠くにおって近くに聞こえ、近くにおって遠くに聞こえるというなら。合楽の信心がです、もうそれこそ、遠くに聞こえる様な、お膝元で頂きながらそう言う様な感を私は、今朝からそれこそまぬがれませんでした。そういう思いに。どうぞ一つ今日頂きますのも亀の井。と言う事は汲んでも汲んでも尽きぬ。
 合楽の今のお広前の事を表現されたものだと思います。いかにそこに亀の井がありましても、汲もうと言う気にならなければおかげになりません。頂こうという気にならなければ、私はおかげは頂かれないと。今日は盆の13日で皆さんお参りが少ないようです。本当にこんな煩わしい事を早く全廃して本気で金光大神のお取次ぎによって、私共も助かり魂御霊の世界でも助かる、生き生きとした合楽理念を持って、本当に合楽信奉者の全部がです。金光教徒になられるようなおかげにならなければ。
 この世じゃ合楽であの世じゃ仏様でという観念が残っておる限り、本当のすっきりしたおかげになる筈がありません。もうこんな煩わしい話しはありません。こんなまあ言うならば馬鹿の様な話はありません。今日は高田好いんさんがテレビで沢山のお坊さんと一緒にお経を上げておられました。どうぞご仏壇をテレビの前に持って来て下さいと言う訳でしょう。もう本当にあれで魂がどれだけ救われるか。
 それは遺族の者がご先祖様にというて、年に一回でも二回でも、心を込めてそれに接するということですから、それは有り難い事には違いありません。けれどもそれが本当にどういう言うならば、働きを実際は現しておるか、それは現仏教信者がです、どれだけ仏教によって助かっておるかということを、思えばすぐ誰でもが分る事でしょうが。お経文を聞いてなら目があいた。お経文を聞いて繁盛する様になったと言う様な話は聞いた事がないでしょうが。だからそれから聞いてもです。
 ただ目に見えない魂の世界の事ですから、分かりませんけれども。こんなにいうならば、馬鹿らしい事はないと言うといかにも軽視したようですけれども、合楽理念が本当にマスターされ、合楽理念が本当に分かって、言うならば合楽で始めて、知っておりますところの、合楽理念の中にある魂の世界の事。これはもう金光教でもそういう、言わば表現は御座いませんでしたし、あらゆる宗教宗派がそんな事を言った人はありません。あちらの世界というところは。
 様々な極楽があったり地獄があったりとかね、何段階何十段階に分かれておると行った様な如何にも見て来たかの様な話しが残っておりますけれども、そんな事はありません。もうあちらの世界はもう暗黒の世界です、真っ黒の世界です。ですからこちらで魂を本当に清め、こちらで自分の信心の光を頂いておかなければどうにも身動きも出来ない所なんです。ですからこちらで光を頂いて始めて。
 自分の行ったそこに光が灯る様なもので、言うなら光明世界はそこにあるのです。だからこの世で光明世界に入らずしてです、あの世に光明世界はありません。これはとにかく、あのあらゆる宗教がここん所に気が付いて分からなければならない事なのです。そう言う事をです、これは魂の世界の事だけではない、この世で本当に光の世界に住めれる理念が合楽理念です。
 それも聞いておるだけではダメです。もう自分で本当に分からんならば、字引でも引いて分からんならば、問うた上にも問うてみて、分からんならば、いうならば日本語ブラジル語に翻訳して、そして是から勉強しようとしておる、そのビリグイ教会の御信者さん方の事を思うてそんなふうに感じずにはおられません。どうぞ愈々合楽理念のマスター。そしてそれを自分の上に日々の改まりと共に、それを身に付けて行くおかげを頂いて頂きたいと思います。
   どうぞ。